松前街道の家並

津軽半島北端への道は北海道松前藩が参勤交代のルートとして使ってきた。
昆布など魚介類の通商ルートでもあり、北の経済と文化が行き交う街道でもあった。
潮風に晒されて独特の風合いをみせる住居。
このあたりは北海道からのTV電波も届き、ネット5局も聴取可能だとか。
街道をはさんで海側には船小屋である番屋がならぶ。
大規模な岸壁がない北の海では、船ごとに作業小屋(いわゆる番屋)を備えている。
激しい風雨から守り、道具類のメンテナンスをするための機能的展開。
街道からは味気ない外観だが、その向こうでは海と闘うドラマが日々繰り返されている。
※海側からの撮影は三厩梹榔(みんまやひょうろう)地区
厳冬に吹き付ける嵐に耐える木造建築は意外と強い。
住人の絶えたらしき古い家も崖下にひそやかに息づく。

三厩の港

義経伝説でも知られる三厩(みんまや)。
海は津軽海峡に面してイカ釣り漁船の基地にもなっている。
荒海から守る緩やかな三厩湾にはいくつもの漁港が並んでいる。
すぐ背後には山の斜面が迫り、冬の厳しさがしのばれる。
まだ明るい昼間だが、集魚灯(イカ釣りランプ)の点検中のようだ。
漁業の町の昼下がりは、真夜中のまどろみの中。

外ヶ浜・義経寺

津軽半島の北端・外ヶ浜町には源義経の伝説が残る。
この地に辿りついた義経が馬をみつけたという岩窟。これを厩石という。
岩の上には江戸時代に仏師・円空が観音像を彫り祀った龍馬山義経寺。
沢山の伝説が歴史とロマンを支えている。

袰月(ほろづき)海岸

今別町・高野崎の西は、奇岩風景で知られる袰月(ほろづき)海岸。
陸地から切り離された、大きな固まりのような大岩が点在する。
人間が近づけない大岩にも樹木があり、ささやかな木陰もある。
そこは海鳥たちが羽を休めるサンクチュアリ。
海の岩場も人間のテリトリーではない。
高野崎の柱状岩の構造と不思議な海の色も堪能した。
階段を登って戻るキツサもあるが、ここまできた達成感が上回る。

磯の生命

高野崎の突端部で海を覗き込んでみる。
波のほとんどない岩場には、海の小世界が拡がっていた。
さまざまな色合いの生きている形。
驚くほど透明な海水は、どこまでも見通せてしまう。
たくさん命の存在に驚く。ここは岩場というより海底の一角だ。
岬の突端は波も荒い。ザアッと寄せて。
ふいと息継ぎ、そして返す。
海の息遣いはゆっくり規則的。

高野崎・潮騒橋と渚橋

今別燈台から遊歩道をだらだら下ってみる。
磯場には二つの太鼓橋(潮騒橋・渚橋)がかけられていた。
橋と橋の間は満潮には波間に隠れてしまいそうだ。
ここまで降りてから、出発地点まで登るという意味を思い出した。
時化や満潮には波をかぶる岩場も今は静かだ。
海岸東には砂ケ森地区ごしに弁天崎が眺められる。
歩道部分はコンクリートで頑丈なもの。
磯遊びにも最適な穏やかな日ならではのお楽しみ。

今別灯台とキャンプ場

高野崎の突端には、今別灯台が海峡を守るように立っていた。
対岸は下北半島
高野崎キャンプ場は津軽半島の北端部にいくつかあるキャンプ場のひとつ。

今別・だるま滝

国道280号線で津軽半島を北上中、道路のすぐ脇に小さな滝をみつけた。
場所は外ヶ浜町を過ぎて、今別町奥平部付近。
落差は10メートルほど、季節のせいか流量も少なめ。
だるま滝という名称は南側からの岩石の眺めを模したもの。
北側からの眺めは静謐。どちらも違ってどちらもいい。